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パソコンでも広告ブロックをしようと、ブラウザにプラグイン( ublock Origin )を導入しました。
トコロガシカシ。
広告をブロックした状態ではアンケート回答ができませんでした。
まあサイト運営の趣旨を考えれば当然ですけども。

また別のプラグインを試してみましょうか…。



第34回家の光童話賞応募作品の題名が決まらなかったのは

第34回家の光童話賞応募作品の題名がなかなか決まらなかった理由を考えてみたのですが、
・テーマや主題があいまい
・出来事やキャラクタが明確ではない
ということではなかったか。

要するに駄作だから、ツマラナイハナシだから、以上。

どっちにせよ、もう投函しちゃったので考えても仕方ありません。
忘れましょう。

忘れました。
記憶力が悪いのは、こういう時に役立ちます。


第34回家の光童話賞応募作品の題名が決まらなかったのだ

第34回家の光童話賞応募作品がようやく出来上がったのですが。
タイトルがどうにも決まりません!
いつものことながら、題名をつけるのが一番難しいです。本文を書くよりも難しい!

公募ガイド2019年3月号の童話特集のまとめノートにもありますが、一番大切なのは題名と内容が乖離しないことです。
「桃太郎」という題名なのに、主人公は野獣の城に迷い込んだ美しい中年のオカマでは読んでいる子どもが混乱します。
子どもが混乱する前に編集者や校正担当者が悪酔いするでしょう。

先日、「本文を全部削ってタイトルだけで応募したりして」なんて軽口をたたきましたが、タイトルだけ作るなんて離れ業をやってのけるには二枚目すぎる自分が辛い。





第34回家の光童話賞応募作品を脱稿

第34回家の光童話賞応募作品は、脱稿としました。
5次稿でようやく、というところでしょうか。完全なものが書けたとは言いませんが、今の段階でできるだけのことはしたつもりです。

主語は一人称の「ぼく」で、文体は常体です。
スティーブン・キングの教えに従い、削れるところは削りました。
もっともこの教えは、キングだけではありません。公募ガイド2019年3月号の童話特集にもありました。特集のまとめノートにも記載されています。

削ろうと思えば、削るところはいくらでもあり、どんどん短くなります。
初稿では原稿用紙6枚半くらいだったので、5枚に納めるのは難儀だなあ、と思っていたのに。
あっというまに5枚半に短縮され、一行二行と削っていくうちに、5枚に一行足りないほどに縮まりました。

無駄な繰り返しや過剰な説明、くどい描写、作者の二枚目ぶり、お話が面白くない言い訳など、削るところはいくらでもあるということです。

本文を全部削ってタイトルだけで応募したりして。
( しません )




第34回家の光童話賞応募作品では主語を

第34回家の光童話賞応募作品の推敲中。
主語はどうやら、一人称の「ぼく」に決まりそうです。
決まりそうって言っても、決めるのは自分ですけども。

一人称主語だと、文体としては敬体よりも常体が似合う、ような気がするとは前に書きました。
「ぼくはアリさんのお散歩を邪魔しないように、その進路を忖度して歩調を改めました」よりも、
「ぼくはアリさんのお散歩を邪魔しないように、その進路を忖度して歩調を改めた」のほうが突き放しているよう感じられますし、その突き放し感がちょうどいい、と思っていたです。

また作品全体のトーンとしても、敬体で包み込むと甘くなる気がします。
ましてや主語が三人称(固有名詞)だと、まさに「お伽噺」みたいな甘さが横溢してしまう! と思うですよ。

一人称か三人称か、常体か敬体か、という問題に答えはありません。
そのとき、自分がどう感じたかを信用するしかありませんね。

で、自分が一番信用できないんですけれども。

なので一応、応募作を決定する前に、一人称バージョンと三人称バージョンの両方を最終稿として書いてみました。
それを読み比べて判断するのが自分だ、というところが残念です。


書くことについて(スティーブン・キング)

画像


右は図書館で借りた「書くことについて」。
左は自分で買った同書。

図書館で借りたのをなくしてしまった、と思って弁償用に買ったのではありません。
借りたものをなくすほど粗忽ではありません。

同書には学ぶところが多くあり、ものを書く上でのたいへんな指針になると思い、一冊手元に置きたく購入したのであります。こういうことは滅多にありません。

前半は自叙伝的な内容です。スティーブン・キングの幼少期から、文章を書くようになったハイスクール時代について書いてあるのですが、随所に作家としての萌芽が見て取れ、そのころに学んだことが現在にも生きていることが分かります。

後半は技法的なことも含めての文章読本です。この手の本は数多ありますが、スティーブン・キングの手による本書はその決定版とも言えます。

この本については、おいおい書いていきたいと思います。
まずは買った本を図書館に返して、借りた本を再読しなくちゃ!

(落ち着け、逆だ!)





第34回家の光童話賞応募作品に呻吟中

第34回家の光童話賞応募作品の推敲で呻吟して四苦八苦して右往左往して七転八倒四当五落二人三脚一進一退です。

最初は1722文字あっても(起承転結の)「結」が決まりませんでした。

第4稿は1655字で「結」もつけました。
主語を一人称にするか、三人称(人名=ミッチャン、など)にするかで悩んでいます。
一応、両方で書いてみたのですが、どっちがいいのか。

一人称で書いた方が、見かけもすっきりするようです。
童話に使うような人名よりも「ぼく」の方が短いのが理由のひとつめ。
二つめの理由として文体が変わるからです。
これは個人的な好みですが、一人称の場合は敬体ではなく常体で書く方が納まりがいい気がします。

三人称や人名を主語にして常体で書くと、ちょっと突き放した感じがします。
一人称主語だと、そのくらいの突き放し感がちょうどいい、と思っています。


「みました」

文具店のスタンプコーナーには、様々なメッセージスタンプが並んでいます。
ビジネスパーソンが使うような文字だけのものから、学生さんが使うようなカジュアルなものまで様々です。

メッセージも多種多様です。
中でも先日たまたま立ち寄った文具店の一角を見て、ちょっと妄想しちゃったのですよ。

そこには、「みました」というメッセージのスタンプが数種類集められていました。
「みました」とは、書類が回ってきたときに「確認しました」「目を通しました」という、いわば「回覧受付済」の意思表示に使うものです。カジュアルな製品群で、ネコやらアザラシのイラストが描かれ、そこに「みました」と文字が添えられていました。中には丸っこい字で「みました」とだけ彫られたシンプルなものもありました。

こういうスタンプが押してあると見ただけでほほえましく、回覧した書類を受け取った時に気持ちが和らぎます。

シカシナガラ。
それも時と場合によりけりです。
ここからは妄想です。

「みました」とスタンプだけぽつんと押された紙片。
それが何の前触れもなく郵便受けに入っていたら?
オフィスのデスクの引き出しを開けたら、「みました」とスタンプされただけの白いカードを見つけた?

怖いよ…。
うん、でもここから何か物語を始められそうにも思えてきた。


長くカタカナを読み間違っていました

先日からドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」をネタにしています。
英語表記だと、Donald Fagenの「The Nightfly」であります。

で、ハンサムで上品な中年紳士は、「ドナルド・フェイゲン」を「ドナルド・フェゲイン」とずいぶん長いこと読み間違えていました。「Fagen」のカタカナ読みは「フェイゲン」。「Fa」の部分は「Face」と同じだから「フェイ」なのか。

「Fagen」を「ファゲーン」と発音しているうちに「フェゲイン」になった、というのは苦しい言い訳です。
自分は、「フェイゲン」の「イ」と「ゲ」の場所を間違うくらい平気でする粗忽な二枚目であると素直に認めます。

こういうことは珍しくありません。
モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を「アンネ・クライネ・ムジナトーク」とも言ってました。
「ムジナ」ってなんだよ、同じ穴に住んでいるのか?


ナイトフライで思い出したフライのこと

先日、ドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」を解説した本をご紹介しました。

それで思い出したのが、先日夕食にエビフライを食べた時のことです。

奥さんはエビフライが好物だと言いました。結婚して30年ほどたちますが、知らなかったですよ!
好物だという割に、めったに食べないからかもしれません。

ちなみに奥さんは、「エビマヨよりもエビフライが好きだ」とも言いました。
ハンサムで上品な中年紳士は、「ふーん、そうなんだ」と返事をしつつエビフライを尻尾まで食べていました。

そして食事の後で、ひとこと、
「ところで、エビマヨって、何だい?」と奥さんに質問せずにはいられませんでした。

こういうセリフ回しって、映画「クールランニング」のワンシーンを思い出します。
ボブスレー競技に出るジャマイカの選手が寄付を募るシーンです。いや、オリンピック委員に出場を申し込むんだったかな?
どっちでもいいや。
ともかく、選手にボブスレー競技のことを頼まれた男は、にこやかに笑いながら
「わかった、まかせておけ!」と請け合います。

そしてボブスレー選手が部屋を出ていこうとする背中に向かって、ひとこと。
「ところで、ボブスレーって、何だい?」

一生に一度は使いたい言い回しだと思っていましたが、「エビマヨ」で使えました。

電話が通じませんというのはスパムの新しい手なのか

先日、webメールのごみ箱をチェックしていたら、面白いスパムメールが届いていました。

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件名が「お母さんです。電話が通じません。」というのが今回注目したスパムです。
何があったのかな、とついメールを開きたくなる、なかなかうまいタイトルですね。

面白がったり感心したりしている場合じゃないけど。

うまい手口ではありますが差出人のメールアドレスを見れば、一目瞭然でスパムとすぐにわかります。こんなランダムなアカウントやドメインは普通は使いません。

シカシナガラ。
メールアドレスまでチェックしていない人も多いみたいなので、そういう人は騙されちゃうのでしょう。
困ったものです。

粗忽な人や軽率な輩、またはITリテラシーの低い人間がこうしたスパム=詐欺メールに騙されるのは自己責任、あるは本人の勝手ではあります。問題は、「騙される人間」が一定数存在することで、騙す側の人間が「この手は使えるゾ」としなくてもいい学習をしてしまうことです。迂闊な人間が被害にあうことで、被害を拡大することもありうることを肝に銘じていただきたいものです。



甘木ビジネス雑誌への投稿が採用掲載されました

甘木ビジネス雑誌の読者欄に投降したものがメデタク採用され、先般掲載されました。
こういうのは嬉しいようなそうでもないような、微妙な気分です。

特に今回の投稿は会心の出来栄えではなかったのでなおさらです。
「そんな出来のもの投稿するなよ」というお叱りはごもっともですが、こういうものは継続しないといけません。投稿数が多いからといって採用されるワケではありませんが、コンスタントに書くということが大切、なような気がする。

僕の音盤青春記Part1(牧野良幸)

音楽関連の本を二冊続けてご紹介しますが、二冊はかなり異なった内容です。『ナイトフライ~録音芸術の作法と鑑賞法』(冨田恵一)は、作曲法の面から詳細な分析をしたかなり小難しい本でした。
対して本書「僕の音盤青春記」は著者である牧野良幸氏の個人的な体験を主体にしたものですから遥かに読みやすい本です。

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サイモンとガーファンクルのファンだった著者がビートルズを初めて聴いたときの衝撃や、大晦日の晩を「アクロス・ザ・ユニバース」を聴いて年越ししようという試み、リターン・トゥー・フォーエバーでジャズに接したことなどが綴られています。いずれも当時の年齢の心境がそのまま伝わってくるような巧みな筆致で、おおよそ同世代(ハンサムで上品な中年紳士よりも牧野氏が4歳年長である)としては多少のノスタルジーも感じます。

ノスタルジーを感じるのは、レコードを買ってテープに録音するというあたりですね。牧野氏はオープンリールのかなりよい機材も持っていたようですが、友人との貸し借りにはカセットテープが主流。
「サージェントペパー」を英会話用のカセットに録音して友人宅で聴き、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の終盤で音が上がっていくところに盛り上がる中学生(もちろん牧野氏と友人)たちの生き生きしていることといったら!

このブログでも何度も繰り返し書いていますが、音楽の魅力って、単に機械的な音の良さだけでは計り知れないものがあるんですね。といいつつ、聞こえていない部分が聞こえている部分を支えている。だからこそ機材が貧弱でも魅力を損なわれない音楽があるのかな、とも考えています。

ちなみに牧野氏の本を知ったのは、例によって例の如く、いつもコメントをくださる海さんのブログ記事です。
いつもよいことを教えていただいて、本当に感謝しております。



ナイトフライ~録音芸術の作法と鑑賞法(冨田恵一)

ドナルド・フェイゲンのアルバム『ナイトフライ(The Nightfly)』は1982年リリース。ハンサムで上品な中年紳士が二十歳のころです。音楽雑誌などでアルバムの存在は知っていましたが、聴いてはいなかった。
当時はパット・メセニーとかチック・コリアなどジャズ系の音楽を追いかけてましたから。

で、30数年後の最近になって、にようやく『ナイトフライ』を聴きました。
そのきっかけは、このアルバムがいまだにPAの設定基準としてエンジニアたちに使われている、という記事を読んだからです。

聴いてみれば確かに、音の位相やディレイの深さ浅さが細かく設定されている、ように思えます。

曲もなかなかいいですね。とは言い条、一度聴いて即座に音楽の良さが分かるほどセンスも判断力もよくないので、携帯音楽プレイヤにいれてずいぶん繰り返して聴きました。

それだけでは足りないので解説の本を借りてきたのがこちら。

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『ナイトフライ~録音芸術の作法と鑑賞法』(冨田恵一)です。

結論からいうと、書いてあることの半分も理解できませんでした。楽曲に関して小節数までカウントして解説してくれるのですっが、これを読みながら曲を聴くのは絶対に無理! もう少し聴きこんでからでないとイケマセンね。解説書は早すぎたですよ。

でも、4曲目のMaxine(愛しのマキシン)では冒頭をコーラスにすることで中盤からのパートとの対比を鮮やかにしているという説明を読んで「ナルホド」と得心して耳を傾けることもできました。




カフェの扉を開けたとき、ハンサムで上品な中年紳士に何が起こったか?

先日、仕事帰りにカフェに寄ろう、と考えました。通勤経路にちょっと気になるカフェがあったのです。ハンサムで上品な中年紳士が仕事の疲れを癒すのにちょうどいいオシャレさの店だと思ったのです。
その日は早めに会社を出て、コーヒーを飲みながら読む本も用意して、準備万端満を持してカフェに向かいました。正面が全面ガラスの店舗内に客の姿は見えず、カウンタでは店員らしき女性が暇そうに頬杖をついていました。いくら客がいないからといっても緊張感がなさすぎる! 外から丸見えじゃないか! と、まるでカフェオーナーのように少々憤慨しました。
もっともその緊張感のなさも、ハンサムで上品な中年紳士が店に入れば頬杖店員の眠気も吹き飛び、店内の閑古鳥は後も濁さずに飛び立つに違いありません。
ハンサムで上品な中年紳士が店の扉を押すと、びくとも動きません。客が来ないのは鍵を開け忘れているせいだったのか? と思ったらドアには「引く」と書いてありました。

押すと引くとを間違えた軽率さはおくびにも出さず、気品を漂わせながら店内に足を踏み入れました。
すると頬杖の店員が顔を上げて、驚いたことに「お客様ですか?」と尋ねてきたのです!

カフェに人がやって来て客じゃなければいったいなんだ? 男前の集金人か? 王子様と見まがう珈琲豆のセールスマンか? お前さんのところだって商売だろう? お客さんですかと確かめるヤツがあるか、マヌケめ!
くらいの啖呵を切りたいのぐっと抑えるまでもなく、その場ではこんな口上が思い浮かばなかったので、
「はい、そうです」と気弱な返答をしました。
こんな貧相な紳士ですが珈琲の一杯くらいは飲ませていただけますでしょうか? と卑屈になりかけたとき、店員から意外な言葉を聞きました。
「お店、6時までなんですけど」
愛用している安物の腕時計を見ると、18時を回るところでした。閉店が早すぎないか? とは思いましたが経営方針に口は出せません。口を出すなら金を出せと言われて、金を出したところでこちらの意見は取り上げてもらえないおそれがあります。

という次第で、くつろぎのカフェタイムは泣く泣くあきらめて帰途につきました。
ああ、コーヒー代500円が節約できた、ああ、無駄遣いしなくてよかった! 無駄遣いしなくて本当にっ! よかった!



恐怖のエレベータ

先日あるデパートでエレベータに乗ったら、先客に怖そうなオジサンがいました。
いかつい体型、短く刈り込んだ頭髪、スーツの上着は地味な濃いグレーに見えて柄が入っている、メガネのフレームは白。いかにもその筋のヒト、という風情でした。

その人はエレベータの操作パネルの前に立っていました。降りたい階はすでにボタンが点灯していたので、そのままエレベータの中に進み、怖そうなオジサンを見るともなく後ろから見ていました。その観察結果がは上述の通りです。

数秒後、驚いたことに怖そうなオジサンが振り返りました。別に凝視していたわけではないのですが、見られている感じがしたのでしょうか。その筋の人々は視線に敏感なのでしょうか。そういえば、その筋の人たちは「ガンをつけた」という言いがかりが得意です。

怖そうなオジサンが振り返った瞬間、ハンサムで上品な中年紳士はどうしたか。
ハンサムで上品な中年紳士の視線が怖そうなオジサンの首筋あたりにありました。それをあからさまに、急に違う方向を見るのも不自然です。目をそらす、ということにも彼らは反応します。

ハンサムで上品な中年紳士は、顔も目も動かさず、怖そうなオジサンの顔を視界の端にとらえたままで、目の焦点だけをはずしました。怖そうなオジサンの顔をやり過ごしてエレベータの操作パネルのあたりに視線を注いでいる、ように見えて目の焦点はあっていません。目も頭もぼうっとさせたのです。

視界の端で、怖そうなオジサンが前に向き直るのが微かに見えました。
怖そうなオジサンは、見られていたのは気のせいと思ったのか、あまりに見事に視線を外されたのでいいがかりもイチャモンも不信任案決議案もつけそこねたのでしょう。もしかしたら、当方のあまりの気高さと二枚目ぶりに圧倒されてなすすべもなかったのかもしれません。

しかし、危ないところでした。あれで目が合っていたら、どうなっていたことやら。

という話を、夕食のときに奥さんにしながら、別の想像が頭に浮かびました。
怖そうに見えたオジサンは、実は外見はともあれ中身はいたって普通の人だったのかも。
で、何気なく振り返ったらハンサムで上品な中年紳士が立っていたので照れ臭くなったとか。

あるいは親切な人で、ハンサムで上品な中年紳士が行先階数ボタンを押さないのことを気にかけてくれて、
「何階ですか?」と尋ねようとしてくれていた、とか。

いずれにせよ、振り返ってみると絶世の美男子なので声も出なかった、のではないか。

さらに想像は進みます。

怖いオジサン(または一見すると怖そうだけど実は普通のおじさん)は、ハンサムで上品な中年紳士の虚ろな目つきを見てギョッとしていたのかも。

「こいつ、目が虚ろすぎる。なんか危ないクスリでもやってるんじゃないか? 二枚目で上品で貧相で怪しすぎる! かかわらないでおこう、よかったボクより先に降りたぞ、ああ、怖かった、くわばらくわばら」

以上、恐怖のエレベータ、いったいどっちにとって? の顛末でした。




甘木売新聞社から投稿謝礼が届きました

先日、甘木売新聞の読者欄に投稿が採用されたけど、なかなか謝礼が届かない、とグチを書きました。

すると間もなく、謝礼の図書券が自宅に届いたのです。どうやら担当者が、このブログ記事を見て思い出したようです。
( 違うって )

図書カードの券面額は3,000円でした。前は千円だったのに、いつの間にか値上がりしたらしいですね。これならA日新聞に負けてません。投稿先を迷ったときは、謝礼額の高いほうを選んでいたのですが、これで条件は同じです。




名古屋から戻る飛行機の中で赤福を食べていたのは

今頃、十連休に名古屋旅行をした際の余談、その2を書きます。

ANAのWi-Fiに接続できずに困っていた一家ですが、Wi-Fiの騒ぎの前には一家で赤福を食べていました。
8個入りの箱(税込み864円だったかな)を一家四人で分けて食べている様は、見ていて微笑ましいものでした。ただ夫婦は隣り合っていますが、娘さん二人は後ろの席に分かれて座っていたので、箱のやり取りはたいへんそうではありました。まあ、そうした多少の困難を一家団結して乗り越える姿も含めて好もしく感じたのであります。

さて、ここで疑問なのは。
赤福一家はどこからきてどこに行くのか、ということです。
どこからきてどこに行こうが勝手なのではありますが、気になったものは仕方がない。

赤福を買って飛行機に乗るくらいですから、名古屋の人ではないでしょう。だってそうでしょう。北海道の人が飛行機で食べるおやつに「白い恋人」だの「わかさいも」買う、というのはおよそ考えられません。

北海道から名古屋に旅行に来て帰る一家なのだろう、と想像していたのですよ、最初は。
トコロガシカシ。
隣席に座っていた赤福一家のお父さんが、「今夜のホテルまでは送迎バスがあるんだっけか?」と奥さんに尋ねているのが聞こえたのです。北海道の自宅に帰る一家なら、ホテルに泊まる必要はありません。ということは、名古屋から北海道に旅行に来る一家なのかしら。だとすると、赤福を買って食べているのは不自然です。うーん、どこから来てどこに行くのか?

おそらく、名古屋近郊以外の甘木県甘木市から、名古屋を経て北海道への大旅行なのでしょう。名古屋と北海道という大きく離れた地域を移動するのは、単なる観光というよりは親戚のところに行くとか、夫婦それぞれの実家への帰省と考えると平仄が合うように思えます。実家に帰省しても、家族が多いと気兼ねだからホテルに泊まるということも十分に考えられます。

よくもまあ、自分にまったく関係ないことをあれこれと想像できるものですね、一文の得にもならないのに。
損もしないからいいか。




名古屋から戻る飛行機の中でWi-Fiに繋げられない人を助けてあげたのだ!!

今頃、十連休に名古屋旅行をした際の余談を書きます。

頃日ではどこにでも無料で使える公衆Wi-Fiが備わっています。
旅客機もまた例外ではありません。ANAの搭乗便ではANAのWi-Fiが利用できました。
電波を発する機器を使ってはいけません、という注意書きの意味が分からなくなりますが、まあ便利でありがたいです。

さて、名古屋から帰る飛行機の中でのこと。
隣席の男性がWi-Fiに繋げなくて四苦八苦していました。

無料の公衆Wi-Fiは便利なものですが、接続の方法は一様ではありません。
大きく分けると2つのタイプがあります。

(1)提供エリアでは自動的に接続できるタイプ
(2)提供エリアで指定されたポータルサイトにアクセスしてログインするタイプ


さらに、
(1)の1、として「何もせずに利用できる」タイプと、
(1)の2、として「ログインパスワードの入力を求められる」タイプに
分かれます。

そして、(2)のタイプも同様に、
(2)の1、として「規約に同意してメールアドレスを登録すれば利用できる」タイプと、
(2)の2、として上記の手続きに加えて「パスワードを設定する必要がある」タイプ
に分かれます。

そして、ANAのWi-Fiは、(2)の2タイプをさらにひねったもので、パスワードのリマインダを設定したり手続きが煩雑です。

そういうことがあるので、隣席の男性は手間取っているのかなあ、と思ってみるともなく観察していました。
すると男性は、奥さんや娘たちからも「私のも早くWi-Fiにつないでよ」とせっつかれていました。こういうときに頼りにされるのはお父さんなんですね。都合よく使われているとも言いますが。

家族からの期待とプレッシャを一身に集めるお父さんは、ますます焦り、接続手順がうまくいきません。
ハンサムで上品な中年紳士は、同じ属性であれば相見互いということでサポートに乗り出しました。
「Wi-Fiに接続できませんか~?、よかったらお手伝いしましょうか?」

隣席のお父さんは、スマートフォンの設定からWi-Fi接続をしてはいたものの、ポータルページへのアクセスをしていませんでした。その点を指摘するとキョトンとしていました。
キョトンとしていてもWi-Fiはつながらないので、「とりあえずブラウザを立ち上げてください」と伝えました。
ところが「ブラウザを立ち上げる」が通じなかったのです。
仕方ないので、
「アンドロイドみたいですから、一般的にはグーグルクロームがインストールされてますよね? クロームのアイコンをタップして」と言い直しました。
トコロガトコロガ! 「クローム」もわかってもらえない。
「…うーん…、とりあえず何か検索してみてください…」これなら何らかのブラウザを立ち上げるでしょう。

隣席のお父さんは、しばらく検索ワードの入力に手間取っていましたが、ややあってANAのポータルサイトが開きました。
そこからメールアドレスや年齢、身長体重と血糖値、過去の交通違反や好みの女性のタイプを入力すればWi-Fiが利用できますよ、というところまでこぎつけるのに二十分はかかりました。

「ありがとうございました、つながりました!」と喜色満面のお父さんは、
「よーし、ママのも設定するから。それとお前たち(娘さんがふたりいました)のを設定するから」と張り切りだしたのです。

もっともその時、飛行機はすでに着陸態勢に入るところでした。もう少し早く声をかけてあげればよかったかな。

それにしてもだねえ、二人の娘さんは若いんだから、自分でWi-Fiをつなぐくらいの意欲は見せなさい!




竹書房にはずいぶん投稿しました

竹書房から出ていた4コマ漫画誌には、ずいぶん投稿しました。
田島みるくを始めとする漫画家陣の手で、自分の投稿文が4コマ漫画、長いネタの場合は8コマ漫画に作り上げられるのは楽しいものでした。全部は覚えていないけど、十本くらいは漫画化された、ような気がする。

漫画以外にも大喜利みたいに「お題」が出て、面白いを答えを送るというコーナーにもよく載せてもらいました。
この評価が結構シビアで、つまらない回答には「十円」の値がつけられたのには驚かされました。
もっと驚いたのは、十円の郵便小為替が本当に送られてきたことです。換金しに行った郵便局の窓口の人も不思議そうにしていました。

ちなみに十円と評されたのは、「マラソンを日本の国技にするにはどうしたらいいか?」というお題に対して。
『ランナーの髪形をチョンマゲにして、まわしを締めて走る』と答えたものです。

インターネットもパソコン通信もないころですから、ハガキに書いて送りました。こんなバカなことを書かれたハガキの気持ちを忖度するといたたまれない気分です。あるいは、『キャッと叫んで走り出し、それを助走にジャンプして四回転半ループを決めようとして着地で失敗して足を挫いたふりをしてバスで席を譲ってもらおうとして嘘がバレたらどうしようとアンドーナツを食べながら志ん生の火炎太鼓を聴いているような心持ち』かもしれません。



忘れたころにやってくる

謝礼の発送が遅いといえば、4コマ漫画誌を出していた竹書房の謝礼も遅かった。2~3ヶ月かかるのはざらで、長いのは1年以上経ってから届いたりしてました。
今にして思えば、編集部がすっごく忙しかったんだろうなあ。

忘れたころに届く謝礼というのは、思いがけない副収入という感じがして悪くない面もありましたけど。

6月8日に二枚目に生まれて人生初の57歳です

57歳になりました。57歳になるのは生まれて初めてです。
これからの人生は、「今が一番若いをモットーに生きていきたい」と言いたいところです。

だけどハンサムで上品な中年紳士は知っている!
誰だって、生まれた瞬間から今現在が一番若い~!

誕生日 メイドの旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

いやいやいやいや、メイドさんと一緒に旅をするならめでたいんじゃないかなあ?
中にはジーブスみたいなメイドさんもいて、こっちが気を遣うのかもしれませんが。


甘木ブロック紙の読者の声に掲載されました

甘木ブロック紙、またの名を北海道新聞の読者の声に採用、掲載されました。
北海道新聞の股に名前があるワケじゃありません。
今年のメディア宛投稿では4回目の採用です。

謝礼の商品券2千円分は、掲載の2日後には届くという仕事の早さぶりです。
甘木売新聞の「気流」欄掲載分は、一か月以上経過しても届かないというのに。
催促するのもあれなので、放ってありますけどね。


コーヒーをブラックで飲むヤツは、とうそぶいたオヤジがいた

ハンサムで上品な中年紳士が、ハンサムで上品な新社会人だったころ、職場には蘊蓄を傾けたり自説を滔々と語るオジサンがいたものです。そういうした連中にはオヤジという称号を捧げたい。

そういうオヤジ連中のなかには、コーヒーについてもナニゴトか言わないと気が済まないヤツが必ずいました。
オヤジ曰く、
「コーヒーをブラックで飲む奴はコーヒーの飲み方を知らない」と。

この発言、ハンサムで上品な新社会人がコーヒーをブラックで飲んでいる気品ある姿を、やや顎を上げて見下ろすようにしているオヤジのものです。もちろんオヤジはソファにふんぞりかえって足を大きく組んでいる。ソファに座る際はだらしなく尻から落ちるようにして大きな音を立てています。そしてオヤジのコーヒーには砂糖が少なくともスプーンで三杯は入っており、ミルクもたっぷり注がれています。これがオヤジがいうところの、「正しいコーヒーの飲み方」なのでしょうか。

好みは人それぞれなので、ブラックで飲もうが砂糖を一袋入れようが鼻からすすろうがおしぼりに染み込ませてそれをしゃぶろうが、ご勝手次第。いや、鼻からとおしぼりはまずいか。

砂糖を入れるとコーヒーの味が変わるので、オヤジのいうことも一概にはバカにできません。
小樽市内にある喫茶店(カフェ)キアロのマスターも試飲以外は砂糖を入れるそうです。
職業柄、たくさん飲むからかもしれません。

マスターには、「エスプレッソをブラックで飲んだら苦くないのか?」ともいわれました。本場のイタリアでは、エスプレッソにはけっこうたくさんの砂糖を入れるそうです。コーヒーの飲み方もいろいろですね。

しかし、自分がブラックで飲めない負け惜しみで、
「ブラックコーヒーはコーヒーの飲み方を知らない奴のすること」というバカなオヤジはバカにしてもよろしい。


ジェットストリームの4プラス1の操作音が大きい件

いつもコメントをくださる narkejp さんのブログにて筆記具の立てる音についての記事がありました。

narkejp
さんが取り上げたのは、ペン先が紙の上を走る音についてでした。クラシックコンサートの始まる前、水を打ったように静まり返る場内では、ペン先がたてる微かな音も響くのでしょう。会場の音響もいいことですし。

ハンサムで上品な中年紳士が気になった「筆記具がたてるけっこう大きな音」は、もっと即物的でやかましいものです。
ノック式ボールペンで、芯を出し入れするときのカチカチというクリック音です。

さらにうるさいのは、ジェットストリーム4+1です。シャープペンシルからボールペンに切り替えるとき、かなり大きな音をたてます。
なぜならば、シャープペンシルを繰り出す際に押し下げた金属製のクリップ部、これが戻るときに「カシャーン」という軽いけどよく響く金属音をたてるからです。

普段の生活ではそれほど気にならなかったのですが、図書館の自習室などでは目立つ、いや耳に立つ、違うか、かなり耳障りな騒音でした。

それを痛感したのが、2級FP技能検定の勉強をしているときでした。
過去問を解いたりメモを書くとき、ボールペンとシャープペンシルを使い分けていました。これをジェットストリーム4プラス1だけでこなそうと思うと、芯の出し入れが非常に頻繁に行われます。そのたびに金属製のクリップ部分が「カシャーン、カシャーン」と鳴り響く、ような気がして落ち着きませんでした。
できるだけそっとノックしてみたり、クリップ部分を指で押さえて勢いを抑えてみたり、けっこう気を使ったものです。

そのせいで2級FP技能検定に落ちた、ということもなく無事に合格しております。

原稿用紙(400字詰め)5枚も書き上げて発送しました

400字詰め原稿用紙5枚は、第50回JXTG童話賞への応募作品です。
福音館書店の「母の友」上で募集していた「こどもに聞かせる一日一話」を脱肛、もとい、脱稿した後で大急ぎで書き上げて応募に間に合わせてものです。こういうのを、世間ではやっつけ仕事ともいいます。

確かに実際に執筆したのは正味2~3日にすぎません。しかし、その前の2ヶ月間、頭の中ではネタを探し、見つけたと思ってはダメだと失望して思い付きを破棄し、原稿用紙にして3枚か4枚という壮大な構想をぶち壊しては再構築するという気が遠くなるような遠大な思考を展開していた、といえば過言です。

今回、ふたつの応募作を書くのに多少でも進歩があったとすれば、公募ガイド2019年3月号に掲載されていた、童話の書き方のノウハウをノートにまとめるなど勉強していたことがひとつ。もうひとつは、そこで得た知見をもって作品をチェックしたことです。

その結果、自信作とか力作からは程遠いやっつけ仕事みたいなものだとわかってしまったですよ!
知らぬが仏って本当かもねー。



原稿用紙(400字詰め)3枚を何とか書き上げて発送しました

福音館書店が「母の友」上で募集していた「こどもに聞かせる一日一話」をどうにか書き上げて応募できました。
その量は800字以上1200字以下、400字詰め原稿用紙にして3枚というものです。

枚数少ないでしょ?
3枚くらいならすぐに書けると思うでしょ?
それなら書いてごらんなさい。

「ザ・ビートルズ」に収められたポール・マッカートニーの名曲、「I Will」とか「Black Bird」、いずれもそう長い曲ではありませんが名曲です。なかなかああいう曲は作れません。
だから3枚の作品も短いからといってバカにはできない、と書いたら論理が飛躍しすぎて着地で捻挫どころか複雑骨折だ。


飛蚊症というよりもテントウムシか小さな蜘蛛

五月の末ころから飛蚊症がひどくなりました。
前々から、視界に小さなごみが見える、ような気がすることはよくありましたが、今回はひどい!

飛蚊症というから蚊が飛んでいるとは限りません。
けっこう大きなものが見えていて、メガネのレンズの上のテントウムシが歩いているようでもあり、小さな蜘蛛が目の前にぶら下がっているような感じでもあります。
小さな蜘蛛、特にオニグモの幼体くらいのが近い印象でしょうか?

油断しているときだと、一瞬、目の前を手で払いたくなりますし、メガネを外してレンズを確かめたりもします。
何もないのですけどね、目の中にあるんだから。

飛蚊症は加齢による仕方のないものもあれば、重篤な病気のサインである場合もあるそうです。二枚目だから、貧相だから、上品だから、という理由で発症することはなさそうです。

ちなみにいつも常に日がな一日見えているわけですが、物事に集中したり、ちょっと離れたところに焦点を合わせていると消えます。集中していて気にしないからなのか、焦点位置によって目の中のノイズが見えなくなるポイントがあるのか。

いずれにせよ、鬱陶しいったらありゃしません!



令和が始まって1ヶ月たちました

令和の御代が始まって1ヶ月が経ちました。皆様、元号のお書き間違いなどはなさっていませんか?

インターネットに接続された最新のエクセルを使っていれば、自動的に更新プログラムが適用されているはずです。
ですから「19/5/1」と入力して、セルの書式設定で日付を和暦に設定すれば、「令和1年5月1日」と表示されるはずです。

本来的には「令和1年」ではなく「令和元年」と表記すべきですが、そこまでエクセルに求めるのは酷でしょう。気に入らなければ西暦で表記するか、手で「令和元年〇月×日」と入れましょう、面倒くさいけどね。

ハンサムで上品な中年紳士はまだ「令和」の字面に慣れないせいか、何か古風な印象を受けます。おそらく日本史で習った(ような気がする)「律令制度」からの連想でしょう。大火の改心のころですね。
違います、「大化の改新」です。「大火の改心」って、出来心で放火をしたら思わぬ大火事になってしまった下手人の反省文じゃないんだから。

古風な印象、というとう平成という元号も当初は「平安時代みたいだ、古臭い」という人もいました。平安の平から連想しているだけだったのでしょうけれども。

そういう違和感もはじめのうちだけです、すぐに慣れますよ。
なんて書いたら、「もうとっくに慣れてるよ!」って言われそうですが。