Gmailで予約送信機能が実装されたのだ!

おそらく、Gmailを使っている方には朗報と思うのですが。
今年(2019年)4月から、Gmailでは時間を予約して送信することが可能になりました。
要するに「メール送信のタイマー機能」、であります。

書いたメールを今すぐには送らずに、一時間後とか明日の朝とか明後日の夕方とか3憶年と一週間後の午後3時15分に送信するという設定ができるのです。

「メールを書いたらさっさと送ればいいじゃないか」というご意見もありましょう。
シカシナガラ。

こういう場合も考えてみてくださいな。

メールを書き終えたのが退勤時間の5分前で、しかも明日でもよい用件である、とします。
これをすぐに送信すると、相手によっては気を利かせて、あるいは単に気忙しい性格なので残業してでも対応しようとするかもしれません。それは相手に申し訳ない。
しかもその対応結果が返されたりしたら、自分も帰るに帰れないという事態になりかねません。

かといって、下書きとして保存しておいて明日の朝に送るつもりにしていても、自分が忘れるかもしれない。

そこで、明日の朝に送信する機能が役立ちます。


Gmailでは以前から、アドオンを使って時間予約送信ができるにはできました。
しかに無料のサービスでは送信できる件数の制限があったり、ブラウザがグーグルチョロメ、じゃなくてクロームじゃないとアドオンが使えません。

Gmailそのものに予約送信機能が備わったことで、アドオンも不要で送信件数の制限もなく、しかもブラウザを問わずに利用できるのが素晴らしい!
ファイアフォックスだろうがオペラだろうが対応可能なのが便利で素晴らしい!

予約送信機能を使うには、「送信」ボタンの右にある下向きの矢印をクリックするだけで「送信日時の設定」パネルが開くシンプルでスマートでエレガントな仕様となっています。この辺も流石、ですね。

ちなみに、デフォルトでの「送信日時」は、「明日の午前(8:00)」「今日の午後(13:00)」「〇曜日の朝(8:00)」ですが、「日付と時刻を選択」をクリックすると任意の日付と時間を設定できます。

8:00とかきっかりの時間でばかり送信していると、いかにも「タイマーで送信しました」という感じですね。
そこでひと手間かけて、送信時間を「8:03」にすると…、別に意味はありませんね。
送信時間まで見ている人はほとんどいませんから。

キスキス(ドアルド・ダール)

公募ガイドの短編小説講座で紹介されていたので読んでみました。

kisskiss.JPG

紹介されていたのは「牧師のたのしみ」なのですが、どこかで読んだ気がするなあ、と思っていたら。
なんと赤塚不二夫の「おそ松くん」に、まったく同じ内容のマンガがあったのを思い出したのです!

イヤミとチビ太の古道具屋コンビが、古道具を安く買いたたいては儲けているという設定でした。二人が目をつけたのは、おそ松一家が隣人からもらい受けた古くて薄汚いタンス。
イヤミが「こんな汚いタンスは欲しくない」と言いながら見ると、なんと江戸時代の名人の作と判明!
その結末やいかに!

ちなみに、チビ太を主人公にしたシリーズ「チビ太くん」でも、似たようなネタがあります。こっちは古道具屋のイヤミと、大きな壺を転がして歩いている宿無しチビ太との丁々発止のやり取りと結末が見事でした。

「キスキス」は1960年の刊行ですが、日本語訳はいつでたのかしら?
赤塚不二夫は早くにこの作品を読んで、そのエッセンスをマンガに取り入れていたのですね。「おそ松くん」シリーズでは、ほかにもO・ヘンリーの「賢者の贈り物」や「警官と讃美歌」をマンガ化しています。そのいずれもが、イヤミとチビ太を主役に使っていました。

このあたりは、同じ顔が六つそろっているだけの六つ子よりも、イヤミとチビ太という外見的なインパクト、キャラクタ設定が強力な二人を用いるほうが効果的だと計算していたのでしょうねえ。

なんだか、赤塚不二夫の話に終始してしまった。

ちなみに「キスキス」収録作品は、短編というにはちと長いかな。いや、十分短編なんですが、ショートショート的な手軽さを予想していると、細部に渡る描写と細かな背景設定やストーリーを動かすための蘊蓄に驚かされます。


これはたぶん泥岩

自宅の庭にあった石をきれいに洗ってみました。

deigan2.JPG

でどころはおそらく東小樽の海岸でしょう。海岸で石を拾っては庭の砂利に混ぜていたころもあったのです。

表面がすべすべしていて、粒はほぼ見えません。相当細かい泥が堆積した泥岩じゃないか、と思われます。

deigan1.JPG

この石が面白いのは、割れていて中身が二層になっていることが分かる点です。
色合いといい形といい、食べかけのチョコレート饅頭のようでお腹が空いたときに見ると危ないかも。
ましてやおやつを食べている時に近くにあると、間違えて囓りついて歯が欠けるのは確実です。


石に興味を持ったからといって、「とうとう石屋になってしまった」ワケではありませんよ。

さらばライフタッチノート

日本電気(NEC)のキーボード付きのアンドロイド端末、ライフタッチノート(LifeTouch NOTE)を手放しました。
一時はずいぶん使っていましたが、ここ数年は押し入れでずーっと休眠状態。今後、改めて使い始めることもなかろう、と判断して手放す決断をしたのです。

フルキーボードでATOKを搭載、テキストエディタをインストールすれば携帯電子作文端末として使えます。

シカシナガラ、欠点もあります。

第一に、携帯電子作文端末としては電池のもちがいま一歩。フル充電で一日もつかどうか、少々不安です。

第二に、かなり重い。もちろん一般的なA4ノートパソコンとACアダプタと5kgの鉄アレイを2つ、ジュラルミン製の現金輸送用ケースに入れて持ち歩くよりは、さすがに軽い。

ですが、分厚くてずんぐりとした筐体はスペック値以上に重さを感じます。
実際、富士通のLoox U/G90よりも大きくて重いんです! SONYのVaioTypePよりも重い!
重い端末を持ち歩くのは、頽齢の身には少々辛いものがあります。

そこで思い切って、「また使うかもしれない」という気持ちには蓋をして手放したのでした。
まったく後ろ髪をひかれることはありませんでした。
ずっと使っていなかったせいかもしれませんし、髪の毛がなかったせいかもしれません。

クールビズが似合わない色男

ここ一年ばかり、痩せてしまったせいでクールビズが似合いません。
世間ではノーネクタイで通勤するビジネスパーソン諸氏が多数を占めておりますが、ハンサムで上品な中年紳士は今でもネクタイを締めて通勤しています。
しかもワイシャツのボタンは一番上まで留めており、就職活動中のイケメンの大学生か、ニュース番組に出てくる二枚目のアナウンサーのようないでたちであります。

痩せて首のあたりが、ひどく筋張っています。
まるで破産して窮乏した元貴族かエサが不足した鶏か、長年の結婚生活にやつれはてた二枚目俳優のような風情でおります。
それをカバーするにはワイシャツのボタンをキチンと留めて、ネクタイを締めるより手がありません。

よくできたもので、痩せてしまうと体温が上がらないのか、ネクタイを締めていてもさほど暑さが苦になりません。今より15kgくらい太っていたころ、ちょっとのことで暑くてネクタイを緩めたりワイシャツの袖をめくったり、もろ肌脱いでべらんめえ口調で江戸前の啖呵を切ろうとして舌をかんだりしていたのがウソのようです。

スパムの嵐が去った(また来るだろうけど)

一か月くらい前は、メールサーバの迷惑メールに毎日々々、来る日も来る日も、デイアフターデイでスパムが溢れていました。
今から一か月前というと、2019年6月20日~30日くらいかな。いかにも「若い女の子」っぽい差出人名で、思わせぶりな件名のメッセージが届いていました。
「ひさしぶりです!」「メッセージが届きました」「番号送るね」「RE:番号送るね」「RE:アド送るね」「タクシーで行くね」その他いろいろ、うんざりするほど、全部スパム、すべてが迷惑メール、漏れなく詐欺サイトへの誘導メール!
(開封して確かめたりはしなかったけど、それ以外に何が考えられるというのだ?)

「お金がほしくない方は見ないでください」「パチンコファンの方に最適の副業です」なんていう、直截的なものも少なからずありました。

いずれにせよ、今時、こんなあからさまなスパムに引っかかるバカがいるのか?、と思います。
「バカ」は言葉遣いがよくないか。もっとエレガントに、ハンサムで上品な中年紳士にふさわしい言い方をしましょうか。こんなスパムに騙される愚か者、うっかり者がいるだろうか?

ま、何十万何百万というスパムを発信すれば、ひとりや二人騙されるバカ(愚か者、うっかり者)はいるのでしょう。
ぼくがいくら軽率で軽忽で二枚目で上品でおっちょこちょいでも、スパムに騙されたことだけはありません。
ほかのものに騙されたことだって、ない、と思うですよ。
願わくば、騙されたことに気づいていないだけではありませんように。

そういえば、ミカちゃんから「おひさしぶり!」というメールをもらってうれしくて返信したのだけど、あれっきり返事がきません。ちゃんと指定された通り、電子マネーを購入してアカウントとパスワードも連絡したんだけどなあ。

手帳には事実だけを記録すればよい(予定はいらない)

先日、ライフハッカーのサイトを見ていたら実に興味深い記事を見つけました。
カレンダーに「事実だけ」を記録する絶大なメリットとタイトルで、カレンダーに参加しなかったイベントや実行しなかったタスクがあふれていることの弊害を説いています。

モノがカレンダではなく手帳でも同じだと思いますが、行かなかった飲み会やできなかったToDoリストが残っていると、後から見返したときに混乱する、ということは十分考えられます。
「そういうことがないように、毎日、少なくとも定期的に振り返ることが大切なのだ」という意見は至極もっともだと思いますが、そういう几帳面なことができない人もいるんですよ。もっとも、振り返りができないズボラな人は、そうそうマメに「参加しなかったイベントや実行しなかったタスク」を書き残しているとも思えませんけども。

また逆に、急遽誘われたランチや突然降ってわいたように発生した急ぎの仕事は、いちいち「予定」や「タスク」として手帳に書いたりはしません。終わってから、忘れないように書き残すものでしょう。
(忘れたくない場合に限る:あんなヤツとランチをした記憶はさっさと消去したい、という人は手帳にもカレンダにも書き残すべからず)

手帳を記録として確実なものにしたければ、事実だけを記録するという割り切りはなかなか有効だと思います。

貴賓席の正体が判明しました

高校時代、地学で火成岩を覚えるに使った語呂合わせは「反戦歌貴賓席から〇〇出て原案流れる」でした。

こんなんだったかなー?
反→斑れい岩
戦→閃緑岩
歌→花崗岩
貴→不明→輝石?
賓→不明
席→不明→石英?
から〇〇出でて、→丸ごと不明
原→玄武岩
案→安山岩
流→流紋岩
る→たぶんこれは、たんなる送り仮名


「反戦歌(斑れい岩、閃緑岩、花崗岩)」は深成岩で、
「原案流(玄武岩、安山岩、流紋岩)」は火山岩です。

前回までは「貴賓席」が不明だったのですが、ハンサムで上品な中年紳士が高校で学んだ、という点が重要です。
つまり昔のことなんですよ。今は学説というか火成岩の分類が違っています。

現代の地学では、火成岩は深成岩と火山岩に分類されますが、昔は「半深成岩」というのがあったのです。
朝ドラ風にいうなら「半分、深い」、なんてね。

半深成岩のグループに含まれるのは、輝緑岩、ひん岩、石英はん岩、です。

貴→輝緑岩
賓→ひん岩
席→石英はん岩

これでぴったりですね。

すると、「から〇〇出て」の部分は、単なる語呂、「貴賓席」と「原案流」を結ぶためのフレーズなのか。

まあ、せっかくですから「から」は、「かんらん」と覚えておきましょう。
分類方法にも諸説があって、深成岩のグループに超塩基性岩として、かんらん岩を入れる考え方もあるようですから。


あー、すっきりした!

反戦歌貴賓席から〇〇出て原案流れる

高校のころ、地学を履修していました。
地学の先生は、もともと教員ではなく研究職だったということで、頑固そうなオヤジサンでした。
その先生が岩石の覚え方として紹介してくださったのが、
「反戦歌、貴賓席から〇〇出て、原案流れる」というフレーズです。

「〇〇」の部分は忘れました。「わきい出て」「わきあがり」「ながれ出て」、そんな感じかなあ。要するに「貴賓席」から「反戦歌」が聞こえてきた、という構図でしょう。

先生が作ったのか、昔の学生が作ったのかも忘れました。

「貴賓席」にいる人々が「反戦歌」を歌ったので(たぶん国民を苦しめる法案の)「原案」が「お流れ」になった、という語呂合わせはは学生運動華やかりしころの高校生が考えそうではあります。

で、この「反戦歌〜」は何を表しているのか?
全部は覚えていないのですが、おそらくはこんな感じだと思います。

こんなんだったかなー?
反→斑れい岩
戦→閃緑岩
歌→花崗岩
貴→不明→輝石?
賓→不明
席→不明→石英?
から〇〇出でて、→丸ごと不明
原→玄武岩
案→安山岩
流→流紋岩
る→たぶんこれは、たんなる送り仮名


「反戦歌(斑れい岩、閃緑岩、花崗岩)」は深成岩で、
「原案流(玄武岩、安山岩、流紋岩)」は火山岩です。

「から〇〇出て」の「から」は、かんらん石かもしれません。
だとすると、「貴賓席」は火成岩を構成する鉱物、輝石、石英を表していると考えると平仄があいます。
そして「から」で、かんらん石を加えてやれば、重要な鉱物は押さえられます。
もっとも、鉱物としては角閃石や長石もあるので、それがカバーされていないけど。


最近では中学の履修範囲らしく、「しんかんせんはかりあげ」とか「りかちゃんあせってげたはいた」などと覚えるらしいです。

シカシナガラ。
「反戦歌~」のほうが格調が高くていい、と思うのは自分の若き日々の思い出に対するひいき目でしょうか。これもまた、バイアスか。

夏らしい壁紙

会社で使っているパソコンの壁紙を夏らしくしてみました。

20190716kabegamis.JPG

左のハエトリグモはどこの産のなんという種かはわかりませんが、実に美しい色合いをしています。そうとう性能のいいマクロレンズで撮ったのでしょうね。よーく見ると単眼にカメラが映り込んでいるようです。

ハエトリグモは小さくてかわいいけど、実際にこの大きさ(ディスプレイ上で計ったら頭の幅だけで8センチもありました)だったら怖いです。いや、むしろ毛ガニと勘違いする人もいるかな?

右はエーゲ海の風景です。女性の白い服が、周囲の壁に溶け込みそうな眩しい日差しがいいねえ。

皇帝と拳銃(倉知淳)

豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ事件に続けて、倉知淳のミステリを図書館から借りて読みました。
「殺人事件を扱うミステリは好きじゃない」と言っていたのに、この本は面白く読めました。

20190716kote_gun.JPG

この本に出てくるのはいずれも犯人による犯行現場の描写から始まります。
死体発見、そして探偵の登場。こういうのを『倒叙ミステリ』というのだそうです。

本書では『探偵』は、私立探偵ではなく公立の探偵=警察官、つまり刑事です。
その刑事のキャラクタが実に素晴らしい。

主人公、というのか謎を解く刑事(警部)は生気というものがまるでなく、あたかも死神のような不気味な風貌。挙措動作も人間らしさがなく、歩いていても上体がまったく揺れない、まるで亡霊がすーっと滑るような移動の仕方だそうです。
おまけにその声は、地獄の底から響いてくるようで、煉獄の闇を見るような目とともに読者を魅了し、主役ともいうべき各話の犯人を動揺させ追い詰めます。しかも、名は体を表すという格言に逆らうように、「乙姫」というのが苗字なんですから。地獄から来た死神、乙姫警部。なんともアンバランスな!

倒叙ミステリですから、いずれも犯人は最初から分かっています。それどころか基本的に犯人の視点で話が進みますので、まるで自分自身が乙姫警部に追い詰められているかのような緊迫感も味わえます。

感情移入が犯人側に偏るので、「ここはこう言っておけば言い逃れられたかも」「あんな小細工をしたばっかりに!」という悔恨も味わえますし、警察を出し抜いてやろうという気分にもなります。

シカシナガラ。
死神警部、じゃなくて乙姫警部の目は誤魔化せません。
相棒のイケメン刑事も「警察にはプロの捜査員が大勢いて、供述のささいな矛盾点も見逃しませんよ!」と熱く迫ってきます。

この乙姫警部、ドラマ化するなら絶対に松重豊さんに演じてほしいです。
そう思って読んでいると、常に松重さんの顔が脳裏に浮かびます。前述のように、倒叙ミステリであるだけに自分が追い詰められている気分で読めるのですが、それはとりもなおさず、常に松重さんに迫られているようなもので、ちょっと怖いです。


自前主義バイアスの裏返し

自分で作成したマクロツールは、自分で作ったからこそ愛着があります。
そして、それを使うことで仕事に対するモチベーションもあがります。

一方、自分が作ったものではないツールには冷淡で、そんなものを使ってする仕事は、いかにもお仕着せというか「やらされている」という観がぬぐえないものです。これこそが自前主義バイアスですね。

そして、このバイアスは、当然ほかの人にも生じるはずです。
同じ仕事をしている同僚に、「このマクロツールを使うとはかどるよ」と自作のツールを渡して、同僚が使ってくれる確率はどれくらいでしょうか。よほど腕のよいプログラマが作ったものだったり、世間の評判が高いものならいざ知らず。そのツールを作ったのは隣席にいるハンサムで上品な中年紳士なのです。

渡された同僚の気分に立ってみれば、「自分が作ったツールじゃないから使いたくない」と感じるのは明らかでしょうなあ。
マクロツールに限らず、仕事の進め方とか書類整理のルールなどが周囲に受け入れられないのも、自前主義バイアスのせい、かもしれない。上司が評価してくれないとか、同僚が一目置いてくれないのも、案外と自前主義バイアスが原因かもしれない。

実際はどうかわからないけど、そう思っていれば気持ちが楽になりますよ。


自前主義バイアスについて詳しく知りたい方は、ダン・アリエリーの「不合理だからうまくいく」の一読をお勧めします。

なぜVBAでツールを作っているのかというと

エクセルのVBAマクロでいろいろとツールを作っては仕事に役立てています。
それがなくても立派に仕事をしている社員もいます。というか、ほとんどの社員は、自前のマクロツールなどなくても十分に仕事をこなしています。一方でハンサムで上品な中年紳士は、自前のツールを駆使してやっと彼らと同じかそれ以下の働きしかできていないという体たらくであります。

そこまでして自前のマクロツールを作りたがるのは、前にも結論づけたように「好きだから」に他なりません。
その根本要因は、たぶん「自前主義バイアス」というものでしょう。

自前主義バイアスという言葉は、ダン・アリエリーの「不合理だからうまくいく」で覚えました。

その名の通り、自分で生み出したアイデアやモノに対して愛着を感じ、それを必要以上に高く評価してしまうことです。
誰にでもありがちなことですね、「自画自賛」というのか「手前みそ」というのか。はたまた「あばたもえくぼ」というのか、「家内安全商売繁盛」とは言わないか。

「手作り」とか「こだわりの」といった修辞も似たようなバイアスがかかっていると思います。

自前主義バイアスの欠点は。
自前に拘泥するあまり、外部の優れたアイデアやモノに対して拒否反応を持ってしまうこと。

一方で自前主義バイアスの利点は。
手塩にかけたアイデアやモノを使って仕事をすることで、仕事そのものに対して情熱を持てるということです。

こうしたバランスに気を付けさえすれば、自作のエクセルマクロツールを仕事に使うことで、モチベーションを高めることができるでしょう。

気を付けないと、マクロツールの改良にばかり情熱を注ぐことになりかねませんけどね。


自前主義バイアスについて詳しく知りたい方は、ダン・アリエリーの「不合理だからうまくいく」の一読をお勧めします。





VBAで何を作っているのかというと2

前回ご紹介したVBAマクロ、宛名印刷とメールアドレスカンマ区切りマクロは、多少自分の勝手な都合で作ったところがあります。

シカシナガラ。
請求書の整形は割とまともです。

請求書の明細欄の行数に合わせて、「小計」や「消費税」の位置を自動的に調節し、「小計」と「消費税」の合計範囲を設定してくれるマクロです。

請求書の明細欄が20行あったとしても、常に20行を使うわけではありません。
5行のときもあれば、10行のときもあります。「小計」をその都度手書きして「@SUM関数」を入れて、「消費税」と記入して「=(小計行のセル)*0.08」と入力して、合計の範囲を設定しなおすのは面倒でしょう。
( え? 面倒じゃないって? ま、そういうマメな人はそうしてください )

対策としては、明細品目に対する小計行を固定して、該当のない欄は空白にするか「*」などで埋めるという方法がありますが、あまり美しくないですね。空欄があるときは斜線を引いて、「ここは空欄です、インチキして書き込んではいけません」と宣言しておかなきゃいけない場合もありますし。

請求書整形マクロを使えば、明細品目が6行なら「小計」を7行目、「消費税」を8行目に落とし込み、合計の範囲を「小計」と「消費税」に設定します。これは明細品目が増えても減っても同じことです。

このマクロを完成させるための時間で、手動で「小計」や「消費税」を何回設定できたか、という比較はナンセンスです。
そういう業務のない、空いた時間に作ったのです。本来の業務時間を削ったということはありません。

VBAで何を作っているのかというと

これからもエクセルVBAマクロを作るぞーと書きました。さて、何を作っているのでしょうか。

基本的にはデータの転記作業を簡単にするマクロです。
こっちのセルの値を、あっちのブックのあのセルに転記する、というのが一番多いです。

社内書類から別の書類に転記する必要がある場合、それが大量の場合はVBAマクロで一括処理しないとやってられません。面倒だし、間違いの元です。

他には、宛名印刷マクロ、メールアドレスをカンマ区切りで出力するマクロ、請求書の整形マクロなど。

宛名印刷は、ハガキや封筒に合わせて宛先を印字するマクロです。宛名印刷ソフトをインストールすれば済むハナシなんですが、会社から支給されているパソコンには宛名印刷ソフトがインストールれていません。
宛名印刷ソフトが欲しい場合は、理由書を書いて申請して承認を受けなくてはいけない。
理由って…、仕事用に宛名印刷するに決まってるじゃないか!

システム部の石頭連中は、「ワードの宛名差し込み印刷を使えばいいだろう」っていうんですが、あれは使いにくい。
使いにくいものを我慢して使うくらいなら、自腹で宛名印刷ソフトを買うか、面倒を我慢してエクセルマクロを作ったほうがいい、と勝手に結論づけました。

まあ、ワードの使い方に習熟しないハンサムで上品な中年紳士もいけないところはありますけどね。

メールアドレスをカンマ区切りで出力、は説明が必要かしら。
複数の人に同時にメール送信する際、こういう手順を踏んでいます。
(1)メールアドレスをカンマで区切って一行に収める
(2)それをコピーして、Gmailの宛先(ccやbccの場合もあるが)にペーストする

今まではテキストファイル上で処理していたのですが、どうもドメインが混在すると送信漏れが起きるようなのです。
それで似たようなドメインをまとめるには、エクセルで一覧表にしたほうがいいな、ということで一覧表にまとめました。
どうせなら一覧表からカンマ区切りリストまで作れるようにしたい、とマクロを書きました。

まあこれも、Gmail上で送信先のグループを作ればよいのかも知れません。

宛名印刷とメールアドレスカンマ区切りマクロは、多少自分の勝手で作ったところがあります。
まあいいじゃないですか、自分の使い勝手とか効率がアップするなら。
他の人に「これを使え」って強制しているんじゃないんだから。

エクセルのシートの表示は標準にしておいてくれ

ハンサムで上品な中年紳士の勤め先だけのことかもしれませんが。
エクセルのシートの表示を、改ページプレビューにする人が多い。
多いというよりは、ほぼ全員がそうだ。

改ページプレビューにすると、必要な範囲以外はグレーで表示されます。
これを見れば、「ああ、白い部分だけ使えばいいのね」と安心です、ということなのか?
そんなことをするなら、入力すべきセルがわかりやすいシンプルな書式を作る工夫をしてほしいものです。

改ページプレビューだと、確かに使わない不要な部分は明示されるものの。
肝心の入力個所に「1ページ」なんて表示が重なって見にくいんですけど。
薄く表示されているとはいえ、やっぱり邪魔だ!

自分で使うときは、標準設定にして使っていますが、社内で回覧するときは改ページプレビューに戻すべきかなあ。
それもなんだか、改ページプレビュー表示がスタンダードです、って認めたみたいで嫌なんだけども。

珈琲とサンドイッチの店さえら

珈琲とサンドイッチの店「さえら」には、2015年にも一度行ったことがあります。
その時はあまり良い印象がなかったのですが、その後、サンドイッチがずいぶん美味しいらしいことが気になり始めました。いつだったか、お昼時に行ってみたら、店の入り口前にある階段の中程まで行列が続いていたことがあり、即座に入店を諦めたモノです。

で、先日、たまたまお昼時でも待っているお客さんが女性一名という僥倖に恵まれましたので、ちょっとだけ待って入店できました。
みたところ、二人用の席がいくつか空いていたのですが、ひとり用の席、つまりカウンタ席が空くまで待たせておこう、というのが店の方針だったようです。しかし女性客に加えて、ハンサムで上品な中年紳士が順番待ちの列についたことで方針を変更し、空いている二人用席を使わせる決断をしたらしいです。カウンタ席の客が長っ尻だと諦めたのか、入り口に気品あふれる二枚目が立っていると後から来るであろう女性客が恥ずかしがって帰ってしまうおそれがあるの、胡散臭い中年男が店先にいると客足に影響が出るのでさっさと店内の目立たない場所に収容してしまおうと思ったのでしょう。

まあ店側の思惑はどうでもよく、貴重な昼休みを待ち時間でつぶされなかったのはけっこうなことです。

注文したのは、エビカツとパストラルビー…、いや、パステルラビー…、ちがった、パストラミビーフのサンドイッチです。飲み物は紅茶。

saera.JPG

エビカツサンドにかじりつくと、カリッとした食感とともに、唇がすごく熱かった!
エビカツは揚げたてなのかしら? パストラミビーフサンドイッチを先に食べて、エビカツがちょうどよい頃合いになるのを待ちました。

店内は落ち着いた雰囲気で、落ち着いた女性客が多かったです。
サンドイッチとかパン屋さん併設のカフェとかは、女性が多いですね。男性はほとんど見かけません。特にオヤジは皆無です。だから好きなの。


珈琲とサンドイッチの店 さえら
札幌市中央区大通西2丁目5-1

思い出せた

最近というかここ数年流行っている文房具で、本来の使い方とは違った使い方をしていて、セロテープじゃなくてメンディングテープじゃなくて、梱包テープじゃない。
とにかくテープなんだ、シールみたいに手紙や手帳や小物を飾るのに使うからデコレーションテープ、とは言わないんだけど、デザインテープとも呼ばない。
粘着力がそれほど強くない、すぐに剥がせるテープで、いや、だから付箋紙じゃないんだってば。
でも粘着力の弱さを活かして、封筒なんかを仮に留めておくのには最適で。
そういえば付箋紙じゃないけど、付箋みたいに使う人もいたな。

こういう風に本来の使い方じゃない使い方で流行っているのがポイントなんだけど、本来は何に使うんだったかな。
自分では使わないんだけど、あちこちに色々なデザインのモノが売られているので、見るとつい欲しくなったりもするんだよね、買わないけど。

一回だけ買ったか。郵便局にあった「しろくまちゃん(わかやまけん作)」シリーズのを買ったことがあった。

で、なんという商品だったかしら?

あ、マスキングテープだ!

思い出すのに3分はかかりました。


msktp.JPG

後から載ったのに追い越され

ビジネス誌の掲載謝礼がなかなか来ないと愚痴を書いていたのですが、届きました。

とは言い条、T洋K済ではありません。その後に掲載された甘木誌からです。
後から掲載されたのに謝礼は先に届きました。

T洋K済からは、もう謝礼は来ないんじゃないかという気がしてきました。
その理由を考えてみました。

(1)編集部の担当者が忘れている
(2)編集部の担当者がちょろまかした
(3)発送したが郵便事故などが起きた
(4)届いているがハンサムで上品な中年紳士が記憶を失った
(5)図書カードではなくアマゾンギフトに変更されていたのに通知メールを削除した
(6)掲載謝礼は支払わないことに決まった
(7)たった3千円の図書カードを送るのはハンサムで上品な中年紳士に対して失礼だと編集部が判断した
(8)地球温暖化の影響
(9)来年は東京オリンピックがある上に、10月の消費増税の見通しが曖昧な上に冷夏で人手不足だから

きらいになれない害虫図鑑(有吉立)

アース製薬の「生き物係」として、いわゆる「害虫」と呼ばれる小さな生き物たちを飼育する苦心談。虫さんたちと、触覚のあるかわいい女性が並ぶ非常にチャーミングな表紙が印象的な本です。

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著者の有吉立(なんて読むのだろう、このお名前)さんは、生物学者でも生物学を専攻した方でもなく、もともとは絵描きさんでした。しかも虫好きというワケでもない。採用面接の際に、「害虫を飼育する仕事」とわかっていたのに、入社後に60万匹のワモンゴキブリが放し飼いされている部屋の掃除は辛かったようです。
それでも「仕事だから」と自分に言いきかせて働く姿勢には頭が下がると同時に、希有な胆力であると見上げざるをえません。その後も、さまざまに工夫をこらしながら一所懸命に害虫の世話をして快適に繁殖できる環境を整える筆者は、実にまじめで誠実そのもの。

そして研究員から要求があれば、必要なだけの虫を渡すというビジネスライクさも重要な資質です。こういう点では元来の虫好きでない方が向いているのかも。ゴキブリに愛着がわいて、研究員に渡すのを拒むようではこの仕事はできません。言うまでもなく、研究員は殺虫剤(アース製薬内の用語では「虫ケア用品」)を作っているんですからね。その手に渡った虫たちの運命はいうまでもありません。

害虫(という言葉は近年の生物学では使わないようです。人間の都合だけで「害」だの「益」だのというのはナンセンスだ、ということでしょう)と聞くと、頼みもしないのに勝手に発生してどんどん増えていく迷惑な生き物、という印象があります。しかし、いざ繁殖させようと思ったり、常に一定数を保とうとするとなかなか大変でうまくいかないらしい。
「嫌だな」と思うから、一匹でも多すぎるように感じるだけですね。害虫だって生き物、それなりの条件がないと育ちません。

とは言い条、簡単に増えるものもいるのもまた事実。何が増えやすくて何が増えにくいのかは本書を読んでのお楽しみ、ということで。


好きなものはやめられない

ちょっと前に、もう年だからVBAプログラミングなんて無理なんだというぼやきを投稿しました。

だからといって、VBAをやめたわけではありません。
他人様がどう思おうと、上司たちがどう評価しようと、自分にとって便利なものを作って何が悪い!
自分なりの小さな、ちっぽけな、些末な、区々たる工夫に過ぎないのかもしれません。
しかし、自分にとっては確実に便利で効率的なツールをVBA作っています。

仕事に役立つエクセルツールを作って、上司に褒めてもらおうとか、同僚らに感心してもらおう、なんてケチな考えではありません。もちろん、勤め人のサガとして、多少はそうした色気を持っていないとはいいません。

ですが、それよりも大きな動機は、好きだから

計算やデータ転記の工夫をしたり、アイデアを考えるのが好きなんですよ。
雑誌の手帳特集に気を惹かれたり、手帳術のブログ記事を読んでみたり、仕事や生活を便利にしてくれる文房具やデジタルガジェットの情報に目がないのも、その一環なのです。

好きだからやめられない。

ちょうど、参照数が一桁しかないブログを毎日更新したりするのも、こうした戯言を書き綴るのが好きだから。
新聞や雑誌に投稿文を送るのも、好きだから。

まあ、投稿文の場合は謝礼目当て、ということもありますけれども。


老人と爪楊枝には注意しなくてはいけないという教訓

先日、札幌市役所地下にある食堂で昼食をとりました。
「地下にある食堂」とは言い条、パティオに面した大きな窓がある開放的な明るい食堂です。地下というのは建物の構造上のハナシであり、感覚的には「一階にある」という気すらします。札幌市役所の一階のフロア自体、ちょっと高いところにありますからね。

さて、ハンサムで上品な中年紳士は明るい窓際の席に座りました。本当の窓際は日差しが強すぎるし先客がいたので、ふたつほどあけたトコロに着席。反対隣には老父夫婦がテーブルをはさんで座っていました。

さあ、お昼ごはんだ!と上品に箸をとりあげたその瞬間、「チャッチャー、チャッチャー」という音が聞こえてきました。
応援団がやってきてお昼の早食い競争の応援をしているのではありません。老夫婦の片割れの男性、つまりどっかのジーサンが爪楊枝で歯をせせっていたのです。
年を取ると歯と歯の隙間や歯に被せた冠と歯茎の隙間に細かい食べ物がはさまることはよくわかります。年配からみて入れ歯の具合が悪いことも想像に難くない。
そうした不具合は不愉快であろう。理解できます。

それにしたってそんなに盛大な音をたてることはないだろう?


漫画家の東海林さだお氏は、中年サラリーマンの下品な行為として「食後に爪楊枝でシーハー」と歯をせせる描写をよくしていました。

トコロガシカシ。
今回、ハンサムで上品な中年紳士が遭遇したジーサンは、「シーハー」どころじゃなかったから始末に悪い。
「チャッチャー、チャッチャー」とやられると、かなり食欲が減退します。
一緒にいる老夫婦のもう一方の片割れ、つまりバーサンが注意してくれないかな、と期待したのですが。
バーサンは食後の薬をチェックするのに忙しくて、ジーサンの「チャッチャー」を注意するどころではなかった。
薬はざっと7~8種類はあって、間違えないように忘れないように喉につまらないように飲むのは大変そうでした。そういえば、ハンサムで上品な中年紳士も昼食後にはニコランジェル(狭心症の薬)を飲むのを忘れてはいけないのでした。

それから少しして、「チャッチャー」ジーサンは、薬を飲み終えた老妻を連れて立ち去りました。

やれやれ、やっと落ち着いて昼食を食べられるぞ、と思った時にはあらかた食べ終えてましたよ。

ウェブリブログの不具合と例のニュースがかぶって見えたよ

「不具合のためご迷惑をおかけしました」とウェブリブログは言ってますが、まだ完全ではないみたい。
下書き保存した原稿を公開しようとしてもうまくいかなくて往生してます。

ハンサムで上品な中年紳士が操作方法を間違えている可能性は否定できませんが、二枚目でも品が良くても間違えてしまうようなユーザインタフェイスはロクデナシに決まっています。ロクデナシに言われたくないかもしれませんが。

今回の不具合、時期といい、お粗末さといい、甘木コンビニエンスストアのスマートフォン決済の不具合と重なります。

ま、人は誰でも間違えるものです。たとえ道行く人が振り返るような美女でも、その美女の目を釘付けにする色男でも間違うことはあります。本人が言っているのですから間違いはありません(その発言自体が間違いというケースは除外する)。

やれやれ…。

やっぱり頽齢の身にはVBAプログラミングも無理なのか

会社の仕事上、エクセルは必須であります。
ショートカットキーを使うなど、できるだけ操作を高速化する工夫はしていますが、限度がある。
そこでここ数年、VBAを覚えました。いろいろと、日ごろの仕事や作業をサポートしてくれるツールを作って自分なりに便利に使っています。

この「自分なり」がミソで、まったく個人で使うものしか作りません。
以前は、社内で「こんなの作ってみましたー、けっこう便利ですよ♪」と発表していましたが、最近は黙っています。
理由はふたつあって、ひとつは他の人が使ったりはしないためです。やはり便利とか不便はその人なりの事情があるようです。自分にとって便利だからと言って、他の人にも役立つとは限りません。

ふたつめは、上司にダメ出しをされたから。
「お前の作るものはろくなもんじゃないし、能力的にも年齢的にもVBAは無理だろう」と言われちゃいましたので。
それに逆らってまで、作ったものを発表するほどお人よしでも肝が太くもありません。
ひとりでこっそり作って密かに効率をあげています。

ただし、その上司のいうことにも一理ある。
我ながらVBAのソースは乱雑ですし、処理方法も覚えられない。
何か処理を考えるたびに、前のVBAソースを確認したりネットで調べたりしないと作れないんです。

たとえて言うなら、みそ汁を作るたびに料理の本を見ているようなものです。
だけども、それなりに便利なものを作るのはやめられない、やっかいな性格を持て余しております。



たなばたのお願いは「おこだでませんように(くすのきしげのり)」

今日は七夕ですね。ナナユウでもなければ、シチタでもありません。「たなばた」です。
短冊に願い事は書きましたか?
ま、北海道では函館など道南をのぞいては七夕は8月7日です。

さて、この本。

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こわい顔をした男の子のようですが、よーくみると目に涙がたまっています。
妹を泣かしてしまったり、ともだちとケンカをしたり、学校でちょっとふざけすぎてしょっちゅう怒られてばかりの「ぼく」による大阪弁の独白です。

先生やお母さんにしかられたとき、「ぼく」にも「ぼく」なりの理由や言い分があるんだけど、それをうまく言えない。言ってもどうせよけいにしかられるに決まっている。せっかく一年生(小学校です)になったのに、しかられてばかりの「ぼく」。だから、「ぼく」はだまって横を向いたまましかられます。

うん、小学生の男の子にありがちなパターンですね。思っていることをうまく説明できない。
ありがちです。どうかすると、大人になってもそういうことがある。特に妻帯者の場合、奥さんの前ではいかなる弁明も釈明も申し開きも無駄だ、という達観があるはずです。ない人は、妻帯者としての自覚が足りないのか、本当は独身なのかのどちらかだ。

さてさて、「ぼく」は学校で七夕の短冊に願い事を書くことになりました。
小学校に入って教えてもらった字で、いっしょけんめいにかいた。

『おこだでませんように』


するとまるで、奇跡が起きたように「ぼく」の願いは叶えられます。
ただし、このことで味をしめたりしなければよいのですが。

巻末にある作者の言葉も必読です。




T洋K済も掲載謝礼が遅い

先日、といっても一ヶ月近く前、甘木ビジネス雑誌別名T洋K済の読者欄に採用掲載されました。
が、なかなか謝礼が届きません。
4年くらい前に採用されたときは、図書カード3千円だったので、今回もけっこう楽しみにしているのですが、届かないんじゃあ仕方がない。

忘れられているのか、謝礼はないのか、貰ったのを忘れたのかいずれかでしょう。

まあ、忘れた頃に届くのを楽しみしています。

豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ事件(倉知淳)

ミステリ作家、倉知淳の短編集です。

基本的に推理小説とか探偵小説かミステリ(全部同じか)は読まないのですが、倉知淳は別です。もっとも殺人事件が起こらない『日常の謎』ものか、猫丸先輩が登場するものに限りますけど。

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楽しく読めました、といえばウソになるか。
ひとつには、5編のうち4編が殺人事件ものなので、読んでいてやや気が滅入る。
もうひとつは、叙述がくどすぎる!
叙述トリックを得意とする作家なので叙述が多いのはわかりますが、それにしても叙述が長い、くどい、しつこい。同じことを繰り返して書いているところがないか?
と思って確かめようとも考えましたが、二度読む気力はありませんでした。

必要があって書いているのかもしれませんが、読者の側でくどいと感じ、水増しじゃないのか?
と思われてしまう段階でアウトじゃないかなあ、とも思います。猫丸先輩の舌鋒も以前ほどの鋭さがないように感じました。
まあ、読み手であるハンサムで上品な中年紳士の感性が鈍磨しただけかもしれません。

スティーブン・キングの「書くことについて」で、『無駄をはぶけ』と繰り返して述べられていたことが常に頭に浮かぶ一冊ではありました。


書くことについて(スティーブン・キング)その2

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スティーブン・キングの手による「小説の書き方」です。
小説誌に投稿していたころ、不採用になったものの編集者からの手書きコメントがうれしかった、と書いています。
若かりし頃のスティーブンの初々しさが感じられます。

いろいろと示唆されることが多い本です。その中心にあるのが「文章を削ること」。
繰り返し語られるのは、「無駄な言葉は省け」、です。
文章を書いていると気持ちがよくて、ついつい余計なこと、言わでものことまで筆が滑ってしまいがちですからね。

この文章を削り無駄を省き文章を短くすることについては、いろいろな文章読本でも言われていることです。
本書が素晴らしいのは、説明はかなり具体的で実践的なことでしょう。
短縮の目安として、次の公式が紹介されています。

2次稿=1次稿の10%減

なかなか手厳しいようですが、覚えがあります。
原稿用紙5枚相当の童話公募への応募作品を書いていて、出来上がったのは6枚分。
書きすぎたと思っていても、一回目の遂行でほぼ5枚に収まります。
5枚=6枚×15%減、くらいですから、おおよそ公式通り。

巻末には「プロの作家でも1次稿はこんなに荒削りなんだよ」というお手本を見せてくれます。
確かに1次稿を読むと、「何を言ってるんだ?」という個所や「回りくどいなあ」という部分が散見されたものです。
笑ったのが、主人公が座る場面。『机の前の椅子のひとつに腰をおろした』という部分が、2次稿では「机の前に腰をおろした」に直されています。
スティーブンはコメントで、「やれやれ、椅子以外のどこに座るというんだ?」と書いています。まさにその通り!

もうひとつ、『オースターマイヤー』という登場人物の名前を『オーリン』に変えていました。『オーリン』に比べて『オースターマイヤー』はカタカナだと2倍弱ですが、英語だと3倍も長いのですよ。これだけで15行も短くなった、というのですから登場人物の名前も重要です。

5枚童話の例でいうなら、主人公が「ケンタロウちゃん」と「トモくん」では大いに違います。これを一人称にして「ぼく」にするともっと短くできる。文面も文字数が少ないほうがすっきり見えますからね。



最近は初期のビートルズをよく聴いています

このところ、ビートルズの初期のアルバムを聴いています。初期も初期、「 Please Please Me 」です。
何を今さら、という感じでもありますがハンサムで上品な中年紳士としては、「ワン、トゥー、スリー、フォア!」でスタートするビートルズの歴史の幕開け、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア( I Saw Her Standing There )」には馴染めなかった。若いエネルギーがほとばしる激流のような音楽に頽齢の身が耐えられなかったのかな。

そのせいなのか、このアルバムの中で好きなのは「ミズリー( Misery )」と「P.S.アイ・ラヴ・ユー( P.S. I Love You )」だったりします。

特に「P.S.アイ・ラブ・ユー」は美しい。イントロの歌(という表現はオカシイのだけど)が終わって、第一バースの冒頭のコーラスがいいですね。あの響きは何とも言えません。デビュー当時から完成されたコーラスグループでもあったことがうかがい知れます。
ステレオで聴いたらどんなにいいかと思うのですが、モノラル録音しかありません。
トコロガドッコイ。
モノラルなのに、コーラス部分の音の厚みが素晴らしく、耳の中が拡がるような感じもして感動的であります。

音楽は何度か聴いて良さが分かる場合もあるので

音楽も文学作品も、芸術作品であると同時に商品でもあります。商品である以上、売りたい、儲けたい、というのが版元の希望です。しかし消費者であり読者でありリスナーである受け手の側では、常に売り手の期待にこたえらえるとは限らない。

音楽、主にCDで発売されるものに関して言えば、そうそう次々に新譜を聴いてばかりもいられません。そのあたりの事情は以前に、生涯に聞けるCDの枚数を思うときの記事に書きました。

気に入ったCDを繰り返し聴く時間も必要ですが、気に入る前に何度も繰り返して聴く、ということもあります。一度聴いただけでは、その音楽の魅力がわからなくて何度か繰り返して聴いてみる、そしてやっと好きになる、ということがあるのですよ。
葦編三絶という言葉がありますが、それの音楽ヴァージョンだと思ってくださいな。
まあ一聴してそのよさを理解できるだけの感性がないんだ、というだけですが。

例えば、ビートルズの名盤といわれる「アビーロード」ですが。
アナログLPでいえばA面最後の曲「アイ・ウォント・ユー」なんて、はじめのうちは何度聴いてもつまらなかったです。途中でブツンと切られるのを今か今かと待っていたものです。近頃では、演奏時間は7分47秒だから、あと少しだと見当がつけられます。

ところで、一枚のCDをそうそう何度も聴くのか? という疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
マニアックな方になると膨大な数のCDをお持ちのため、「一度は聴いたけど、それ以来聴いてないCD」が相当数あるのだとか。

これが書籍となると、一度読んだだけで二度目はない、という本は普通なんですけどね。
さらにこれがマンガとなうと、一度読んだだけで二度目はない、ということは滅多にありません。あったとしても即座にブック○フ行きですな。


今年は若者を考えなかった

ここ数年、欠かさずに応募していた公募案件を今年は落としました。
「若者を考えるつどい」の作文なんですが、今年は書けなかった。
頽齢に至り、もう若者のことを考えてはいられなくなったようです。

家の光童話賞の応募作をぎりぎりまで書き直しては推敲していたので、頭が切り替わらなかったのかも知れません。
だとすれば、それも頽齢により頭が固くなっている、ということでしょう。