新聞投稿とジョークと腹のくくり方と問屋のアヤシイ関係

新聞投稿では無茶しないほうがいい。
北海道新聞「読者の声」欄に投稿が掲載されました。
ネタとしてはありきたりなのですが、当たり前のことを真っ当に論ずるのもひとつの方法です。

普通なら言わないことや、ちょっとひねった、あるいはかなりヒネッて着地に失敗して足を挫きそうな論調もおもしろいのですが、目下の重大事項を茶化すような真似はしないほうがいい。

例えば頃日では、新型コロナウイルス感染症で冗談をいうのは難しいでしょう。少なくとも、コロナジョークで読者投稿に載せてももらうには、相当な技量か覚悟かが必要です。
まあ、仮に覚悟を決めて腹をくくって(腹をくくっても腹は引っ込まないゾ)も、新聞社が問屋に卸してもくれないし、アマゾンで発送もしてくれません。

在宅勤務だからといってサボっていると思われちゃ困る

在宅勤務をしている人は真面目に仕事をしていますよ。
まあ人それぞれですが、働いているほうはたいてい真面目に仕事をしていると思います。

トコロガ一方、管理職や在宅勤務をしていない人は、そうは思っていない節がある。
性悪説というのか、人は監視していないと怠ける、と思い込んでいるのでしょう。
こういう人間はたぶん、「自分は見張られていないとサボる」と広言しているようなものです。

一方、在宅勤務者の側でも、上司や出社している同僚から「サボっている」と思われているのではないか不安を感じています。
お互いに疑いの目を向け合うような職場はいやだなあ。
疑心暗鬼で暗夜行路。憧れのハワイ航路は遥か遠い。
もっとも「サボっていると思われているのではないか」という不安がプレッシャーになって、仕事に精励するという面もあるかもしれません。
そうは言いつつも、大多数のビジネスパーソンは、疑いという外圧がなくともちゃんと働くものだ、と思いたい。
何故ならまともな人間ならば、自分の裁量で行動するとき、そうそう無責任なことはしないものです。

在宅勤務者が真面目に働く、というには根拠があります。
日本のビジネスパーソンなら誰もが多少の経験はある「サービス残業」というものを考えてみても分かります。
やるべき仕事があるなら、自発的に働く、ということが人間にはあるものです。
「在宅勤務=家にいて誰も見ていないから仕事をさぼる」、と考えている人は、一度やってみると分かるはずです。

それでもなお在宅勤務者に疑念があるというのなら、こういうしかありません。
「家にいようが会社だろうが、サボるヤツはサボるんだよ」と。

そもそも普通に出勤していると、出勤していることがアリバイになってしまうのですよ。
出勤さえしていれば、そこで多少サボっていても手を抜いていても、
「オレはちゃんと出勤しているぞ、文句あるか!」となる。
こういう昭和の根性サラリーマンみたいな人にはさっさと絶滅してもらいたいものです。

パタリロになった夢を見た

人の夢のハナシを聞くくらいつまらないものはない。
いしいひさいちの漫画に出てきた名言です。
その名言を知りながら、夢について語ります。

ここでいう「夢」とは、寝てみるほう、です。
将来は王様になる、独裁者になる、世界一キレイにハンコを押せる会社員になる!
というほうではありません。こっちの「夢」を聞かされるのも、そうとうな苦痛ですな。

さて、ある夜の夢。
たぶん自分自身だと思うのですが、パタリロ殿下が部下にこう言います。
「たまには、おけさ丸に乗りたいな」
どうやら、マリネラ王国所有の貨物船のようで、日本近海を航行中で仙台港に立ち寄る予定。
パタリロは東京にいたので、新幹線で仙台まで移動。
「しばらくぶりに牛タン弁当も食べたいな」と言って、東京駅で牛タン弁当をどっさり買い込んで新幹線に乗り込みます。
乗り込む姿は、切り絵のようなシルエット。山積みにしたお弁当がひとつ、転がり落ちたりして。

夢だからつじつまが合わないのですが。
どうせ牛タンを食べるなら仙台についてからにすればいいのに、とか。
どうもパタリロはひとりで大量の牛タン弁当を食べて、それを見せびらかすつもりらしい、とか。

聞かされるほうも面白くないでしょうが、書いているほうも面白くありません。

たまにはこういう、苦行のようなブログ記事があってもいいかな。
よくないか。

在宅勤務と公募案件執筆の成果について語る

家にいるからと言って暇だとは限りません。
当たり前のことですが、家にいれば家の用事が色々とあるものです。奥さんに叱られないように気をつけるとか、奥さんに叱られたら素直にあやまるとか。

在宅勤務では通勤に時間をとられることもありませんし、職場のように雑用で時間が過ぎることもありません。まあ前述したように家にいれば家の用事があるのですけれども。

少なくとも通勤にあてていた時間を自分の時間に使える、とは誰もが思うことでしょう。
ハンサムで上品な中年紳士もご多分にもれず、通勤にあてていた時間を公募案件の執筆にあてれば、相当に書けるぞと思って6月を迎えました。

シカシナガラ。
蓋をあけてみればいつものように作文は捗らず本を読む時間も減るというテイタラク。

何とか月末までに4本を仕上げたものの、締め切り間際に大わらわで駄作を書き上げたに過ぎません。
仕事にかかる時間は、使える時間に比例するという箴言の正しさを立証しただけの結果とあいなりました。

この調子で7月も同じことを繰り返すでしょう。

志ん生は「きよう」と言ってました

「もしなんならば、魚屋の親父、買って来ようか?」
古今亭志ん生の「鮑熨斗」です。

「来よう」の部分は、「こよう」ではなく「きよう」であります。
確かに、「行って来ます」というのは「いってきます」ですから、「来よう」を「きよう」と読んでもあながち間違いではないのかもしれません。

粋な感じがするので、ハンサムで上品な中年紳士も多用しています。街角で「交番で道を尋ねてきようか?」とか「銀行から1億円引き出してきようか?」とか言っている二枚目がいたら、その人です!

ただ「来よう」を「きよう」と読むのは、江戸っ子弁だと思っていたら、どうも北関東の方言らしいですね。
そうなると、あまり粋には感じられないかも知れません。
「きよう」と聞いて、『お、志ん生だな!』とピンと来るような粋人が自分以外には身辺にいないのが悔やまれます。

悪い冗談は弁慶にしておけ

小樽の人口はだいたい11万人くらいでしょう。
それに対して東京の人口は1,100万人くらいですよね。
一方、ある日の新型コロナウイルスの感染者数は小樽で14名で東京は60名。
単純に人口比で考えたら100分の1になるか、100倍になるかしそうなものなのですが、不思議不思議、摩訶不思議。

小樽の感染状況についていうと、「昼間にカラオケができるスナック」がクラスター。
「昼カラ」なんて略されて報道されていますが、まるで「昼カラ」は小樽にしかないのか思えてしまう。
だって、よその「昼カラ」でクラスターが発生したなんて聞きませんし。

江戸の名物が「武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、紫、火消、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹」なら、小樽の名物は「寿司、運河、ガラス細工に昼カラのクラスター」なんていうのは悪い冗談ですね。

もっと悪い冗談は、バスの中でこういう会話をすることでしょう。
「カラオケに行けなくてつまらないよねー」
「昨日は面白かったのにねー」

洒落じゃスミマセンよ!
悪い冗談は弁慶にしておけ。義経じゃないのか?

ちなみにハンサムで上品な中年紳士は、カラオケは大嫌いでほぼ行ったことはありません。
「ほぼ」というのは、手帳じゃなくて、若い頃に無理やり連れて行かれた苦い思い出が記憶から消しきれていないのです。


はじめよう!柴犬ぐらし(監修:西川文二監修・イラスト:影山直美)

1593178965306.jpg

この本を読んでいたら、
「柴犬を飼うの?」と尋ねられました。
ちなみに尋ねたのは左上に写っているワンコではありません。

さて、お尋ねの件ですが。
「飼いません、読んでいるだけです」と答えたら、相手は不思議そうな顔をしていました。
別に不審なことはありません。でかけはしないけど旅行ガイドを眺めることはあるし、行かないけど洒落たカフェを紹介した雑誌を眺めることがあるでしょう。結婚はしないけどウェディングドレスを着ることもあるし、太るつもりはないけど大盛りのカツカレーを食べた後、デザートにホールケーキを食べることもあるでしょう。

それと同じで柴犬の飼い方を読んでいるだけで、傍らに柴犬が愛らしい顔で座っているような気分になれます。ときには部屋の隅で丸くなって寝ているようでもあり、立ち上がれば気配を感じて足元をついてくる。そういう妄想を掻き立ててくれます。
それだけで可愛らしい柴犬を飼っている気持ちになれます。
もちろん影山直美さんのイラストも楽しいですし、たくさんの柴犬の写真も堪能できます。

これから柴犬を飼いたいと思っている人はもちろん、柴犬が大好きだけど飼えないので気分だけ味わいたいという皆さんにオススメできる本です!

トコロデ。
そんなヴァーチャル柴犬の飼い主みたいな真似してバカみたい、とも言われます。
まあ確かにバカには違いありませんが、他にも理由があります。

実を言うと、25年ほど前に実家で犬を飼っていました。
ここでは書きませんが、事情があって殺処分にしました。
「しました」なんて軽く書いてますが、人倫にもとる行為でいまだに自分を許すことができません。
こんな二枚目には犬を飼う資格はありませんし、本来な犬を飼っている気分を味わう資格もないでしょう。

地獄で犬に噛み殺される日を待ちわびながら生きていますよ。