のど飴とごま塩頭

薬局の窓口で名前を呼ばれたのは、ごま塩頭のおじさんでした。

男性は薬剤師さんにむかって「ちょっと待って」という風に手をあげて、カウンタ横に設置された商品棚に向かいました。そして手を伸ばしてのど飴を一袋取り、一緒に会計してました。
「はちみつだいこん」だったか「生姜だいこん」、とにかくダイコンだったような気がする。

飴の袋を手にとったときの、おじさんの嬉しそうだったことと言ったら!
あの味が好きなんだろうなー。
ただ、のど飴もけっこう砂糖が多い。
食べすぎないようにね。


考えすぎの二枚目がここにいる

あまりに空腹すぎると、美味しいものも美味しく食べられない、ような気がする。
「空腹は最高のソース」、「空きっ腹にまずいものなし」とはいうものの、味わうという点においてはどうなのでしょう。

そう思ったのは、ある情報番組を見てのこと。
新しくできた飲食店街のランチメニューをリポートする女性タレントふたりが、ちょっとした掛け合いをしたのですね。
女性タレントA(ややスタイルのよい、まあ女性らしいタイプ)が、
「朝食を抜いてきました」と定番のセリフを口にしました。
それに対して、女性タレントB(やや体格のよい、もしかしたらコメディエンヌ)が、こう返したのです。
「甘いですねー、わたしなんて昨夜の晩ごはんから抜いてますよ」
たぶん、テレビを見ている人に笑いが起こる場面。

でも、ハンサムで上品な中年紳士は思いました。
「前の晩から食事抜きって、バリウム検査じゃないんだから」
こうも考えました。
「あまりお腹が空いていると、美味しいんだか美味しくないんだか分からないんじゃないか?」

まあ考えすぎですね。
単に笑いをとるためのやり取り、あるいは「張り切って食べて、たっぷりとリポートしますよ」という意味合いなんでしょうから。


まったく、余計なことを考える色男ですから、一緒にいる人はさぞかし疲れるだろうなあ。


富士の山みたいなハナシだけど

例によって応募作は半日で書き上げました。
先日、徒然草エッセイ大賞というのに応募した駄文です。
一晩でできたのは富士の山ですが、駄文は半日で書けましたのです。

まあ半日で、とは言い条、一応は考えたり構成を練ったり組み立てたり転んだりしている日々が一ヶ月かそこらは続いていたでしょうか。

一ヶ月もかけて、そんな駄文ができたのか、と呆れられるかもしれません。
駄文はかけた時間に価値があるワケではありません。時間をかけてもサボっても駄文は駄文です。
駄文を原稿用紙換算で5枚も書く身になってみてください。
そういうお前は、駄文を5枚も読まされる人間の身になれと言われそうですが。



札幌大通地下500メートル美術館で感銘を受けたのは

札幌大通地下コンコースに、500m美術館というものがあり、いろいろな美術作品が展示されています。

見ていて「きれいだな」と思うもの、「なんだか懐かしいような」と感じるもの、「なんだかよく分からないけど、きっとゲージツ的なんだなろうな、これは」と冷めた目で諦めざるを得ないもの。かと思えば、「よく分からないけど、なんだとってもいい感じ。もっと見ていたい気がする。これって、自分が美を理解しているってことかしらん?」と心がたかぶるものなど、いろいろです。

いつもコメントを下さる田舎おじさん様も「札幌でしかできない50のこと〔15〕札幌大通地下ギャラリー500m美術館」という記事を書いてらっしゃいます。


さて、下の画像は薄汚れたワンちゃんのぬいぐるみです。

DSC_0455dog.JPG

展示品の一部であり、製作者の家にあったものか、古道具屋で見つけたものか、ゴミ捨て場から拾ってきたのものなのかは分かりません。
展示自体は全然印象に残っていないのですが、このとぼけた感じのワンコがたまらなくガバイーン!

「ガバイーン」というのは、漫画家の唐沢なをきが「かわいい」という言葉の強調型して使う言葉です。

まあ、このように。
芸術作品としての総体は印象に残らなくとも、その構成部分から強い感銘を受けることもあります。
これも立派な芸術鑑賞のあり方、なのかな?


甘木童話賞で佳作をいただけた理由を自己分析する

初めての童話公募での入選の原因は何だったのか?
地道な努力の積み重ね、という抽象的で曖昧なことでは今後の参考にもなりません。
考えて見るに、以下の点に気をつけて書いたことでしょうか。

(1)大人が子どもを助けたり教え諭すというパターンは不可
(2)シンプルかつ明瞭に書く

(1)について
これまでに書いた童話では、大人(あるいは大人の立場にある何か)が子どもを救う、子どもを教え導くというパターンが多かった。
これでは教訓モノになってしまい、子どもは読んでいてちっとも面白くない。
むしろ、子どもが大人を助けるというパターンくらいが読み手である子どもの心をくすぐる、かも知れない。

(2)について
このブログもそうだけど、変に理屈っぽく、かつ、くどい。
しかも論理の道筋が明快でないという最悪パターンが多い。
余計な説明や理由付けを省いて書く、あるいは説明や理由付けのいらない文章を心がけた、つもり。


今回の応募作は、ベースに自分の子ども時代の実体験を踏まえています。
学校の理科で、ヘチマを育てる課題があった。
祖母が上手に育ててくれて、先生も驚くような立派な実が生った。

これをそのまま書いたのでは、童話にはなりません。
せいぜい、「それがどうした」と言われる程度のエッセイもどきでしょう。

祖母とは同居していたのか、祖母はどうやってヘチマを大きく育てたのか。
その辺はざっくり省略し、祖母と自分の関わりを中心に構成する。
もっとも農業関連の童話賞なので、ヘチマ栽培についてノウハウを書いたほうがウケたのかもしれませんが、記憶が曖昧なのとうまくまとめられそうもないのでした。

自分がヘチマ栽培に関わる部分も、子どもの力が活かせるように創作しました。
この辺は、やや家庭菜園的な知識が出てきます。


このブログ記事だけでは、何のことかさっぱり分からないだろうなあ。
まあいいや、自分用のメモってことで。


テレワークの本たち

書店でテレワークに関する本が平積みになっているのが目立ちます。

だいたいどの本も、オンライン会議ツールの紹介や導入方法、使いこなしが満載ですね。
と、いうよりはそればっかり!
世の中には、ミーティング命で打ち合わせ大好きで、オール・アイ・ニード・イズ・会議、みたいな人たちがあふれている、らしいですな。

おまけにそうしたテレワーク本どもは、オンライン会議ツールを通じて自分の存在をアピールすべしと、そればかり主張している感じですね。

いわく、積極的に会議やミーティングを主催せよ。
いわく、就業時間中はカメラを常にオンにして仕事をしている姿を見せよ。
いわく、オンライン会議で映える(ここは「はえる」ではなく「ばえる」と読ませたいらしい)服装はこれだ!

そんなにまでして、オンライン社畜になりたいのか?

もう少し、ワークライフバランスに配慮した働き方を示唆する本はないものでしょうか。

ああ、そうだ。なければ書けばいいのか!
帯にはこう書かれていたりして。
「この本のアドバイスに従ってやる気のないヤツと思われても責任とれませんよ」


十二月の十日(ジョージ・ソーンダーズ)

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どうも読んでいて分からない、読みにくい、頭が変になりそうだ。
そんな気がして、どうも岸本佐知子が翻訳しそうな小説だな、と思ったら本当に岸本佐知子が翻訳していました。
いや、岸本さんの翻訳が変だというワケではありません。原作がそうなんでしょう。

奇妙奇天烈奇々怪々の短編物語がぎっしり詰まった単行本です。
ほとんど物語はなんとか読み終えることができましたし、いくつかは面白くも読めました。
だけど、やっぱり分からないという感覚は拭えません。じゃあ、わかるとは何なんだと問われると、それもまた難しいのですけれども。

短編集の中でも、もっとも長編の「センブリカ・ガール日記」は、SFのようなファンタジーのような物語ながら、痛烈な社会風刺が含まれています。
「SG飾り」という言葉が何の説明もなく使われていて、「?」となってページを戻して読み直したりしても、やっぱり説明はない。読み進めていくと、意味がわかってくるのですが、わかってくると背筋が冷たくなりますよ。

もうひとつのお気に入りは、「わが騎士道、轟沈せり」。
甘木テーマパークの裏側で似たようなことが行われていないといいのですが。
あのテンションの高さに辟易すると、こういう物語を思いつくのかも知れません。

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「ダメ人間たちが下降のはてに意外な気高さに輝く、現代アメリカ最重要作家の傑作短篇集」、おすすめです。